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“Oh Darling, Let’s Be Adventurers.” 旅、映画、写真とか

「ありがとう」の考え方


この間、哲学のクラスが久々にシビれる内容だったのでシェア。

いつもいつも有難く素晴らしい内容なんだけど、前回のは特に印象的だった。

 

その内容とは、「感謝」について。

 

人が誰かに感謝の意を示すというのは、

殆どの場合はその誰かが自分に何かしてくれた行為に対して、というのが一般的だと思う。

というか誰しもが感謝とはそういうものだと思っているでしょう。

 

仕事でフォローしてくれて、ありがとう。

 

ご飯作ってくれて、ありがとう。

 

素敵なプレゼントを贈ってくれて、ありがとう。

 

これが普通よね。

 

ところが。

ヨガ哲学の考え方だと、逆なの。

 

感想すべきなのは、人に対して何かしらの行為をはたらいた人なの。

人間は、誰かに奉仕することが悦びで、奉仕する機会を与えてくれて、

その奉仕を受け取ってくれた人に対して感謝すべきなんですって。

 

だから、

 

仕事でフォローさせてくれて、ありがとう。

 

ご飯作らせてくれて、食べてくれて、ありがとう。

 

素敵なプレゼントを受け取ってくれて、ありがとう。

 

に、なるわけ!

これ、めっちゃヤバい、マジでシビれた。(語彙力)

 

普通に生きていたら、こんな逆転の発想出てこない。

 

人間が生きていることを実感するのって、他の人と関わっているとき。

天涯孤独なままでは生きていけない。

誰かの役に立ってこそ、自分の価値を見出すことができるんだと思う。

 

自分が誰かの為に良かれと思ってしたことを、その相手が受け取ってくれなかったら、

自分自身を否定されたように感じてしまう。

誰かの行為は、別の誰かが受け取らないと、人と人との関係は成り立たない。

だからこそ、自分の行為を受け取ってくれた人に感謝をする。

そういうこと。

 

毎日家族の分までご飯を作っていると、自分一人の分だったらどれ程楽か、と思うことがあるけど、

やっぱり、誰かの為にご飯作らなきゃ、という役割が与えられていることって、本当はとても有難いことなんだ。自分が作ったご飯を食べてくれる人がいるという有難さ。

役割が与えられることで、責任感が生まれて、自分の存在意義が生まれる、そうやって人は生きているんだなと思う。

 

大人になると、役割や責任の数がどんどん増えて、それがストレスの原因になることもある。

だからたまには全ての役割を振り落として、素の自分になることも大切。

 

でも、人間は他の人と関わりながらじゃないと生きていけない以上、

日頃は自分に奉仕する機会を与えてくれている周りの人にこそ、

感謝しながら生活しないといけないんだ。

 

中には嫌々引き受けていることもあるだろうし、

人生に関わる全ての人に感謝するなんてのはもう悟りの境地なので到底無理な話だけど笑

 

自分に近い人とか、大事に思っているごく僅かな人にだけでもいいから、

自分の行為、奉仕を受け取ってくれてありがとう、の気持ちを持って生きていけるといい。

 

わたしはまず、毎日ご飯作らせてくれてありがとう、の気持ちを育てていくところから始めようと思います🌱