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“Oh Darling, Let’s Be Adventurers.” 旅、映画、写真とか

仁川カジノ旅2023

去年の6月、2泊3日で仁川へ。

 

目的はカジノ。以上。笑

わたし自身がギャンブラーなのではなく、夫の付き添いです。(別に夫もギャンブラーではない。)

でも、カジノ、嫌いじゃない。

 

初めての韓国、ソウルで色々食べたりお買い物したり、と妄想していたけれど、結局8割カジノで過ごしました。笑

 

今回行ったのは、日本でもパク・ソジュンのCMでお馴染みParadise City。

宿泊はパラダイスシティだとお高いので、施設から交差点を渡ってすぐのベストウェスタン仁川に2泊。

お部屋は小上がりになっていてちゃぶ台があり、どことなく日本を感じさせたけどそれがとても居心地良かった。

 

仁川までは、Air Premierという韓国のLCCで。LCCとプロパーの中間を目指しているようなエアラインらしく、とっても快適だった。謎のおやつが出るし機内エンターテイメントもまあまあ。成田ー仁川で往復ひとり35,000円くらいだったかな。安い。

 

全然知らなかったのだけど、韓国ってKakaoが牛耳っててGoogleマップ使えないんですって。空港からホテルまで徒歩で行ける距離なのに、一生経路が出てこなくて到着後焦る。

結局パラダイスシティ行きのシャトルバスに乗り移動しちゃったけど。まあ多分それが正解だった。

 

空港の周りなので繁華街とかはないけど、それでも美味しいお店を見つけてランチへ。

빨간거짱구네 업무단지점というナクチ(タコ)の鍋のお店。

日本語や英語の店名は不明‥‥笑

https://maps.app.goo.gl/jnNMnWimSocfzar6A?g_st=ic

メニューは鍋のみで、白ご飯を追加するかどうかくらい。

店内にはハンガーに赤いエプロンがかかっていて、各自自由にそのエプロンを使い、終わったらまた戻すというセルフサービススタイル。雑な感じがなんか良かった。

 

エプロンをつけて黙って待ってると鍋とスープ、キムチが運ばれてきて、暫くすると生きたタコが入ったバケツを持ったおばちゃんが現れて、タコを手掴みしたかと思ったら無慈悲にもハサミで豪快に切り裂きどんどんと鍋の中に落としていきます。割とショックな光景です。

でもやはりとんでもなく新鮮なので、とっても美味しいです。そして見た目通りの激辛です。

 

よほど有名なのか日本の芸能人のサインなんかも飾られていたけど、店内は韓国人しかおらず、おばちゃんには英語も日本語も通じませんでした。

 

これで腹拵えをして、日が暮れた頃にいよいよメインイベントのカジノへ。

なんとも煌びやか。

 

ここは外国人専用カジノで、中で遊んでいるのは殆どが日本人でした。

夫の目当てはポーカーだったけど、レートの高いテーブルにしかディーラーが立っておらず泣く泣く諦め、ブラックジャックで遊びました。

ブラックジャックならわたしもできます。

でも計算が遅過ぎるので、いつもディーラーさん頼りです。笑

ディーラーって憧れるよなぁ。

 

ブラックジャックの他には、スロットや、画面を見ながら賭けられるゲームを少し。

スロットはあんまり面白いのが無かったなー。

 

どこのカジノでもそうですが、カジノに金を落とすと、コンプというのが貯まりそこでのご飯が無料になったり、遊びまくると宿泊までもが無料になったりします。まぁこれだけお金使ってるんだからね、それくらいさせてもらわないと‥‥。

そして我々は貯まったコンプで夕ご飯を食べました。

白菜の酢漬けと豚肉?と春雨?の煮込みを食べた。辛ラーメンもあったよ。

そういえば仁川空港は降り立った瞬間からキムチくさかったですが、ラウンジには大量の辛ラーメンも常備されていて、さすがだなと思いました。

 

カジノで勝てる程腕はないので、適度に遊んでホテルに帰りました。

 

2日目は、午前中電車に乗ってソウルまで出てみました。

エアラインエクスプレス的なやつで50分くらいだったかな。全てが曖昧な記憶‥‥。

ちょうど梅雨時だったので、湿気マックス、そして晴れ間には恐ろしい暑さが襲ってきて、その辺は東京と変わらないんだなと思った。冬はソウルの方が断然寒いよねきっと⛄️

 

暫く当てもなく散策したあと、お昼ご飯を。

チャドルパギという韓国焼肉。とタコ🐙

本当は美味しいお店を聞いててホンデエリアに行きたかったのだけど、時間もなく明洞駅の近くで。

https://maps.app.goo.gl/USKwTtZj2tYqTcto8?g_st=ic

辛くて美味かったー。

 

この後はまたすぐ仁川に戻り、カジノ2回戦でした。

日本人のミドルご夫婦とブラックシャックで隣の席になり、ちょっと仲良くなった。

いかにも品が良くて、きっとカジノはご夫婦の定番の余暇の過ごし方なんだろうなと想像した。話し方や身振りから余裕が溢れていて眩しかった。

こちとら毎回大負けして帰ってくるただ興味本位でカジノに遊びにきている若造なのに、とても丁寧に相手してくださり、できた人間とはこういう人たちや、と感心した。

 

カジノもそこそこに、またコンプでカジノ内で夜ご飯。

2日目はスンドゥブにしました。

さすが本場。カジノのレストランというのもありそんなに期待していなかったけど、ボリュームもあって辛くて大満足。カジノ内が極寒だったので助かりました。

 

 

最終日は朝の便だったので、特に何もせず空港へ。

帰りはベストウェスタンシャトルバス使えた!

 

パラダイスシティはカジノに登録したときにLINEも追加して、初めに8000円分くらい遊べるクーポンもらってたのだけど、以来毎月月初にイベント情報と共に数千円分のクーポンが送られてくる。

これはまた行かなきゃ損、そんな気にさせられるのだけど、結局行っても負けて帰ってくるんだから、絶対行かない方が得なのにね。

 

まあ今回ほぼ観光ゼロだったし、次はもっと見たいところ見て、嗜む程度にカジノに寄って帰ってきたいです。

 

整形とかコスメとかK-popとか興味有れば、もっと頻繁に行くんだろうな。

どれも全く興味ないから、次は遠そうだな‥‥

 

 

パクチーチャンス

夫が不在の日は大好きなパクチー独りで食べ放題です。

 

パクチー美味しいのにね、どうしてこんなに敵が多いのか。

和名はカメムシソウっていうんですってよ。

これ絶対パクチー嫌いな人が付けた名前じゃんね。

酷過ぎる

 

パクチーは、エスニック料理とか中華料理によく使われるけど、特に好きなのはパクチーナンプラーパクチーと麻辣湯という組み合わせです。

 

昔、職場の近くにあった中華屋さんが麻辣刀削麺で有名で、痺れるスープとパクチーの相性が良すぎて食べまくってた。友達と、これは絶対何かまた食べたくなってしまう危険な材料が入っているよね、てことでマリファナラーメンと呼んでいました。笑

 

麻辣系は家でなかなか作れないから、家でパクチーを頂くときは専らナンプラー味の何かと一緒に食べる。

これは鶏ひき肉、しいたけ、しめじ、キャベツ、パクチーを炒めてナンプラーだけで味付けしたもの。それにもりもりトッピングパクチー

幸せの香り漂う謎の一品の完成です。

 

夫は、匂いの強い野菜が苦手らしく、パクチーを筆頭に三葉や紫蘇もダメ。だから親子丼にも三葉使えないし、豚肉の梅しそチーズ巻きみたいなやつも作れない。🥲

 

まぁ好みは人それぞれだから仕方ないんですけど。

でも好みというのは、やっぱり子供の頃からどれだけたくさんの種類の食べ物を食べてきたかが大きく関わっていて、それには母親の好き嫌いと冒険心が重要だと考えている。

有難いことに、わたしの母は好き嫌いがなく、小さい頃からなんでも出されたし、たまに珍しい食材があればそれも積極的に食卓に取り入れていた。

だからわたしは何でも食べられるように成長したのだと思う。

 

母ちゃんありがとう。

 

自分も将来母になるときが来たら、夫を差し置いて子供には何でも色々と食べさせよう。

 

大抵何を食べても美味しいと思えるから、留学や海外旅行でも食べるものには全く困らなかった。

強いていうなら、ルーマニアで食べたモツ系のスープと、新大久保で食べた韓国式の刺身は苦手かも。

そうは言っても、今まで食べ物の美味しい国ばかりを旅してきたから、勿論まだまだ未知の世界はあるかもしれないけど‥‥。

 

夫とは好みが違う部分はあれど、共通しているものも多い。例えばお互い辛いものが好きで、ご飯は硬めを好む。

だから基本的には日々の料理は困らない。

これがもし好き嫌いが多かったり、好みが合わないと、毎日大変なんじゃないかと思う。

けどそもそも、そういう人たちは一緒にならないのかな?きっと。

 

そんなんこんなで今日も独りお昼ご飯の予定なので、パクチーをふんだんに使ったサラダかスープでも作ろうかと企んでいる。わくわく。

好きな場所

寒川神社

鳥居を潜ると、明らかに空気が変わる。

 

清い

 

とはこういう空気なんだなぁと思う。

 

子供の頃から何かとお世話になっている。

初詣はもちろん、厄除けとか旅行前のお参りとか、あとは特に用事が無くてもたまに来る。

昔は実家で飼っていた犬も一緒に来たなー。

犬は境内には入れないから、家族で交代で外で待ちながら順番にお参りした思い出。笑

 

何も理由が無くても、来る前とお参りした後では、気持ちが違う。

神様に頭を下げて挨拶をしただけで、すごく清々しい気持ちになる。

 

別に神社にお参りするのに理由は要らないのかもしれない。

好きな場所だから、来る。

それでよいのよ。

散歩のお供

お散歩、続いてる。偉いぞわたし。

季節の変わり目で天気が不安定だったり台風のような風だったりで断念する日もありつつも、できるだけ歩きに出るようにしている。

 

コースは相変わらず河津桜がひっそりと咲く汚い川沿いだけど、花が咲く様子とか少しずつ春になる様子を見ながら歩くのは、悪くない。

 

いつも耳にイヤホンを突っ込んで、手袋をして家を出る。

 

走るときは、Harry StylesとかEd Sheeranとかのれる曲をすぐにかけるけど、

歩くときのお供は、専らPodcastだ。

走っているときと違って、話を聴く余裕がある。

 

聴くのは、Jay Shettyか、Steven Bartlettのどちらか。

Jay Shettyはインド系イギリス人、元僧侶。

インドで3年修行して、ヨガ哲学や仏教の教えを現代人に当てはめられるようにいろんな形でシェアしてくれている。

今はLA在住で、瞑想アプリのホストやったり可愛らしいインド系の奥さんとお茶作ったりしてる。

 

Steven Bartlettはアフリカ系イギリス人、起業家(?)。

Jayより若いけど、頭がキレる印象で、庶民の目線でインタビューするのがうまい。

イギリス版マネーの虎に出演しているらしい。

 

2人とも、旬なゲストを呼んで1−2時間程の対談をする。

この、対談形式のPodcastに、ハマっている。

海外、といっても英語圏しかしらないけど、こういう平気で1時間超えるPodcastが山ほどある。家で時間があるときはYouTubeで観るけど、歩くときに彼らのPodcastを聴き流すのも、とても良い。

 

ぼーっと歩いてるとすぐに話についていけなくなるので、理解度は6−7割だけど笑

 

最近聴いたので良かったのは、Jay Shetty × James Cordenの回。

わたしの大好きなエンターテイナーであるJames Corden、ホストオブホストという感じの彼がLate Late Showを退いてはや一年、ゲストとして、その後の近況やLate Late Showの裏側を語ってくれている。

普段は人を笑わせ引き立てる役の彼の中にある哲学が、素晴らしいなと思うことがたくさんあった。

アメリカ屈指のTV番組の看板を背負い、人気絶頂にあっても、彼はこれにはいつか終わりがくるし、終わりは来なければならない、と語っていた。

全ては変化するもので、永続するものはないと。それを常に頭に抱きながら、仕事を続けているらしい。

競争の激しい業界で、そういう考えでいるのって、難しいと思う。経験の中で生まれた考え方なのかもしれないけど、何事においても、やっぱり終わりを意識しないといけないというのは真実である。終わりがあるから物事は美しく輝くし、その一瞬に集中できるよね。

逆に、辛い出来事だって、永遠には続かない。だから、過ぎ去るのを待つこともできる。

これを常日頃から意識するとしないとでは、生活がだいぶ違ってくるよなぁと思った。

 

あともうひとつ、Jamesが11歳の息子に向けて言った言葉が印象的だった。

James「僕は今まであなたを愛していたか?」

息子「うん。」

James「僕は今まであなたを故意に傷つけたり嫌がることをしたか?」

息子「してない。」

James「僕はこの数年で変わってしまったか?」

息子「変わってないよ。」

 

その後Jamesはこう続ける

「この先、あなたは人生の中でも辛い時期を過ごすことになるかもしれない。身体や心の変化に、自分自身がついていけなくなるかもしれない。そしてそんなときに、パパに対して、僕のことを愛していないんじゃないか、どうして傷つけることを言うのか、パパは変わってしまった。そう思うかもしれない。でも、それは、違う。変わったのは、パパだけじゃなくあなたも同じだ。皆、こうして変わっていくものなんだ。そして、パパはこれからも、あなたを愛し続けるし、傷つけるようなことは絶対にしない。」

 

これから思春期、反抗期を迎える息子に送ったこの言葉。

これ、渦中に言われても、意味がない。

これから、大人の階段を登っていく、まさにそのときに、改めて伝えられることに、価値がある。

きっと息子さんはこの先何かあればこのやり取りを思い出すだろうし、思い出しても素直に行動できないこともあるかもしれないけど、最終的にお父さんのことを悪く思ったり嫌いになったりすることはないんじゃないかなーと思った。

 

ひょうきんJames、こんなに良き父だったのか‥‥と感動。

 

わたし自身、無口な父親からは殆ど声をかけてもらってこなかったからなのか、このやり取りには少々嫉妬した。

 

JayとSteven、彼らのPodcastには、各方面から様々なゲストが呼ばれる。

James Cordenやハリウッドセレブはもちろん、医者、研究者、心理学者など、本当に多岐に渡るから、何かしら興味の湧く分野がある。

わたしが好きなのは、心理学系と食生活関係の話。

 

Pharrellさんとか聴きながら歩くのも楽しそうだけど、

やっぱり散歩のお供はPodcastに限る。

 

 

寒い。

もう3月というのに、毎日まいにち寒くて寒くて嫌になる。

 

頭では、3月はまだ寒いとわかっちゃいるけど。

関東では2週間も前に春一番が吹いてしまい、もう身体は一足先に春気分なのよ‥‥。

 

2月に一度あった20度超えの日、近所の生物園に行き温室で熱帯植物やらアゲハ蝶を見てきたから尚更。

 

もう、身体がこの寒さを一切受け付けなくなっている。

 

もともと、暑いのが好きで寒いの嫌いだったけど、暖冬といわれた今シーズンですら、この寒さには幾度となく怒りを覚えた。

年のせいかな。

 

でも、寒がりのくせに、わたしは暖房が嫌いだ。

というか、夏場でも、空調が嫌い。

人工的な乾燥した風が嫌いなんでしょうね‥‥。

 

で、我が家ではどんなに寒くても滅多に空調を付けることはなく、

辛うじて寝室で寝るまでオイルヒーターをつけておくか、布団に電気毛布を敷いておくかで凌いでいる。

 

人がこんなことしてたら、我慢せずに空調使えよ、と思うけど。

 

それでいつも思い出すのが、ヨーロッパにあるセントラルヒーティングだ。

あれは賢い。

大好きだった。

 

なんで、日本でも採用されないのか。

 

冬なんて寒いに決まっているのだから、寒くなってきたら一括で全ての部屋を暖めてほしい。

そうすれば、廊下や玄関だけ寒いなんてこともないし、外出から戻れば家の中は既に暖かくて、部屋では半袖で居られるし、浴室でヒートショックも起こらない。誰もがハッピーなのに。

 

日本て、家具付きの賃貸も少ないし、エアコン自分でつけないといけない部屋の方が多いし、暖房も部屋毎に必要なら買えってことだし、モノを買わせるためにこういう仕組みなのでは、と思ってしまう。

 

セントラルヒーティングがあれば、こんなに冬を嫌いになることもないのかもしれないと思うと、日本の空調設備の罪は重い。

 

こうなったら、セントラルヒーティングの存在する国に引っ越すか、はたまた常夏に引っ越すか。もう選択肢はどちらかしかない。

 

それくらい、最近の寒さが許せない、わたし。

1週間先の天気予報を見て、また絶望しています。

お散歩のちから

今朝、洗濯だけ済ませてすぐに散歩に出た。

 

今の場所に引越してきてから3年弱、この場所がとにかく嫌いで、どこか嫌なエネルギーを感じるし、良い散歩コースすらなくて(ランニングコースも最悪)、天気の良い朝もどこを歩いていいのかわからず途方に暮れていたのだけど、今朝、初めて良いコースを見つけてしまって、歩いて帰ってきた今も心が少し弾んでいる。

コースの途中の神社。

割と有名な神社らしくて、初詣のときはすごい人で賑わうのだけど、休日の朝は人気もなく特に空気が冷たくて、しんとしていて素晴らしかった。

もう巫女さんたちはお仕事を始めていて、すれ違うと笑顔で挨拶をしてくれた。

ここに住み始めて初めて、土地の人に受け入れてもらえたような気がして嬉しかった。

 

神社までの道のりは、きったない川が流れている側を通り、小さな公園の脇を抜けてくる。

川では汚いなりにちゃんと鴨が連なって泳いでいて、川沿いには犬の散歩をするおじいちゃん、そして公園にはゲートボールを嗜むマダムたち。

 

家の近くに、こんなに平和な世界があるなんて、今の今まで知らなかった。

 

そんな長閑な朝に感激して帰ってきたら、なんか何でもキラキラして見えてきてしまって、人間てなんて単純なんだろう、と思った。

 

ヨガ哲学で散々「あるものに満足することで内側の平和、平穏が訪れる」と習っているのに、全然わかってなかったよね。

 

お散歩ひとつにも平和が隠れている。

 

それを、大いなる秘密を知ってしまったように浮かれてる今。

朝ごはんも美味しいし、家事も苦にならない。

やる気に満ち溢れている。

たったこれだけで一日大事に過ごそうって思えるからすごい。

 

お散歩パワー、恐るべし。

同じ場所、違う記憶

昨日、母校のゼミの先生が退職されるので、最後の講義を聴きに行ってきた。

同期や先輩と一緒にキャンパスをお散歩していたとき、皆口を揃えて「懐かしい、ここは俺の青春が全て詰まっている‥‥!」と感激しながら校舎や中庭を眺めて感傷に浸っていた。

それを目にして、ふと自分の中には違う感覚があることに気がついた。

 

わたしは、大学時代が全然楽しくなくて、良い思い出なんて殆ど残っていないのだ。

 

第一志望でもないし遠いし、本当に気に入らなくてずっと編入試験の勉強をしていて、クラスの子とも心から打ち解けられずサークルにも入らず1人で授業取って独りでお弁当を食べて1人帰っていたから、嫌なことは色々と憶えていても、良いことの印象が薄すぎる。

図書館の充実した感じとか面白い先生の授業とか、ところどころで小さな愛しい記憶は思い出せるけど、全体として見たときには、懐かしさから胸が温かくなる感じは、全く無い。

 

それでも、結局編入試験には失敗してこの大学に通うしかなくなったときに、ゼミの存在がなんとかわたしをドロップアウトせずに卒業させてくれたのは、事実。

ゼミの先生は、在学中にはこのクソ野郎と何度も何度も思ったし、こんな内容後の人生何の役にも立たんとずっと考えてたけど、先生にはたくさん助けてもらったし、今の人生に繋がる土台も作ってくれていることを、最後の講義を聴いて実感した。

そしてゼミの途中で逃げるように留学して、帰国後も鼻にかかる嫌な奴だったであろうわたしと、ずっと仲良くしてくれてたくさん笑わせてくれたのはゼミの友人だった。

 

昨日嬉しそうに大学を懐かしむ同期の姿を横目に、こちとら全然楽しくなかったわ、とは思いつつも、彼らにありがとね、という気持ちが湧いてきた。

 

先生の退職というイベントをきっかけに、大学での負の記憶が、少しだけ書き換えられた。

 

荒療治だとは思うけど、こうして時々嫌な記憶も引っ張り出してきて、良いように書き換えてあげると、案外楽になれるのかも知れない。

 

その為に人間は忘れることができるし、信じることができる。

 

講義のあとで、同期でよく通った思い出のカレー屋さんでランチして帰宅。

このカレー屋さんでも、皆が味が変わってない!懐かしい!を連発していて、全く理解できなかったけど。笑

これからもし同じカレーを食べるときには、大学時代を少し優しい気持ちで思い出せるかなと思うよ。