お引越し
先月、関東から沖縄に引越してきた。
家具家電は殆ど全て、売ったり処分したりして、宅急便と車の輸送だけで引越しを完了させた。
そのときに、一緒に連れてきたのが、10年育ててきた幸福の木。
他の観葉植物は家族に託してきたけど、どうしてもこの子だけは一緒に来たくて、サイズに合わせた段ボールを特注して自分で梱包して送った📦
まず無事に届くかどうかも心配だったし、空輸のストレスとか日照不足とかで届いてもすぐに弱るかなと不安だった。
届くのはとりあえず無事に届いて、一安心。
大きい鉢に植え替えて様子を見ていたら、引越してきて10日ほど経ったある朝、蕾が顔を出していることに気づいた。

幸福の木って、そもそも滅多に花を咲かせることはないらしい。
10年以上育てて、且つ色々と条件が揃わないと咲かない、というのを昔どこかで聞いていたから、まさか自分が育ててきた子が蕾をつけるとは思ってもいなくて、驚いた。
ここから、じっと見守ることまた10日。
ついに、小さな花がポツンポツンと咲き始めた。

花のひとつひとつはすごく小さいのに、家中に広がる甘くて力強い香り。
一気に全てが咲くわけではなく、数日にかけてゆっくりと、毎日夕方から夜にかけて少しずつ花を開かせていった。
一度開いた花は一晩で萎れてしまい、翌朝になると香りも消えていて、ただ静かに佇んでいる。そしてまた夕方になるといい香りがして咲き始める、というのを何日か繰り返して、1週間くらいかけて全ての花が開き切って、また静かにいつもの幸福の木に戻っていった。

なんかすごく壮大なものを見せてもらった。
引越し先での新しい生活を、これからも静かに見守っているよ、とエールを送ってもらったような気持ちになった。
一緒に連れてきて良かった。
これからもよろしく。
奇跡の脳

久しぶりに本を読んだ。
ジル・ボルト・テイラーの「奇跡の脳」
ヨガや哲学に興味がある自分にとってはすごくワクワクする内容で、とても良かった。
人は右脳と左脳の絶妙なバランスの中でこの世界を生きているんだな。
今の世の中は、社会的な生存競争が激しいから左脳優位になりがちだけど、いきすぎると疲れるし心が荒んで楽しくなくなってくる。
その左脳が過剰に働いてる状態を様々な方法で抑えて右脳とのバランスをとっていくのが私たちにとって大切で、ヨガもその方法のひとつだなと実感。
ヨガで呼吸と身体の細部に意識を向けながら動いてるときって、強制的に「いま、ここ」に集中させられるから、いわゆる左脳の分析的要素が抑えられて、頭の中がすごく静かになる。
それが心地いい。
巷で流行っている(?)「ヨガ」って身体的なアプローチにフォーカスされがちだけど、それって結局フィットネスの延長でしかないと思っていて、別にそうと割り切ってエンジョイする分にはそれでいいと思うけど、脳の動きにまで働きかけようとすると、もう少し違った効果が得られるように思う。
自分自身も、ヨガの入り口は、綺麗なポーズを取れたらカッコいいな、と思ったのと、筋トレだと身体全体の筋力のバランスが悪くなりそうだけど、ヨガで全身運動しながらつけた筋肉は身体に良さそうだな〜、と正に身体的な魅力に惹かれたのがきっかけだった。
でも、続けるうちに、呼吸法や瞑想、そして哲学を知り、ヨガが生活全体、人生全体に浸透するようになった。
世の中全ての人がヨガしたらいいのになと思うことはあるけど、「世界中の人がヨガに没頭したら社会が動かなくなる。電車やバスの運転手が居なかったら困るでしょう?」と私のヨガの先生も言っているので、結局は数ある選択肢のひとつだし、宗教と同じでそこに自分にハマる哲学があるかどうかだ。
著者が脳卒中の最中に経験した「宇宙とひとつになるような感覚」は、ヨガでいうサマーディ(samadhi、悟り)のような神秘的体験だけど、実はこれも脳が作り出したもので、右脳と左脳の機能の違いが生み出しているという本当はとても科学的なことだということがわかる。
元々、神秘的な体験や目に見えないことを信じることは自分にとっては不思議なことではないし、こういう本で科学的な視点からも説明がつくと、やっぱり世界は自然の法則やエネルギーがうまくバランスを取っているんだなということに、うんうんと納得することができる。
世の中、秩序が大事だし社会で生きていくにはその秩序を守るために色々なことを経験して学んでいかないといけないけど、右脳の世界が死んでしまったり忘れ去られてしまったりしないように、いつでも自分の中で、今の瞬間、全部と繋がることで幸せや満足感を得られる方法を身につけておくことも本当に大切だなと改めて思った。
私にはヨガという方法があることが、これからこの世界を生きていく上での自信や安心に繋がってる。
今は子育てをしているけど、子どもには心身共に健康に育ってもらえたらと常に願っているから、この本に書かれているようなことも頭に入れながら、日々子と接していこうとも思ったよ
空の色

これから、南の方へ引越す予定で
変化の前って必ず、今までの当たり前が急に恋しくなる。
寒いのが苦手で、冬が大嫌いだと思っていたけど、
本当は
冬の澄んだ空の色が好きで、
冬の朝のピンと張り詰めた空気が頬に当たる感覚が大好きだ
ということを改めて認識して、もうそのどちらもから遠のいてしまうのだと思うと、突然寂しくて仕方なくなってしまった。
写真は、6年前に行ったイギリスの、エアビーからの眺め。16年前の留学先を再訪した思い出深い旅。
写真を見るだけで、当時の空気感を思い出せて、懐かしさと切なさで泣ける。
これからは冬が来てもこんなに澄んだ空と冷たい空気を感じることは無いんだろうと思うと哀しいけど、
この感覚を忘れずにいる限り、秋や冬にまたそれに出会うために旅をするのもいいな、
なんて引越し準備をしながら考える
パンを焼きながら

子供ってなんでこんなにパン好きなの‥‥。
自分もパンは好きだけど、なんとなく小麦粉摂りすぎも気になるためここ数年はそんなに積極的には食べていなかった。
しかし最近は我が子に「朝ごはん何食べたい?」と聞くと二つ返事で「パン」と言うように。
だからたまにパンを買うのだけど、近所に良いパン屋もなく、スーパーで買うパンはマーガリンやら添加物が気になるのであまり買う気になれず、というのが最近の悩みで。
前からちょくちょく焼いていた米粉のパンをまた焼いて子供に食べさせたりしていたのだけど、やっぱり米粉のパンてどうしてもモチモチしちゃうから小さい子供にはあまり向かないみたいで、我が子もそんなに嬉しそうじゃない。
やっぱり、あの小麦粉独特のいい香りと、ふわふわした本物のパンがお好みのようで。
こうなったら母が焼いてやろうではないか、と一念発起して初めて小麦粉で食パンを焼いた🍞
米粉のパンでもイースト使うし、パウンドケーキとかはよく焼くし、パンも同じ感じでしょくらいのノリだった。
しかし材料と型を揃えた時点でコスパ悪‥‥と思い、捏ね始めて更にえwコスパ最悪wwとなり。
しかも分量が違っていたのか生地が全然まとまらず、恐らく通常の倍以上の時間捏ね続けていたのだけど、ここまでの時間と材料を無駄にしてたまるか!と見るからに発酵し損ねてふにゃふにゃの生地を半ば無理矢理焼くところまで持っていき、祈るような気持ちでオーブンに投入。捏ね過ぎてこのとき腕プルプルしてたわ。
ケーキ作りとかの「混ぜる」と「捏ねる」の違いを思い知ったよね
待つこと30分、恐る恐るオーブンを開けてみると、綺麗なきつね色した誰がどう見ても食パン!のパンが現れた。
やっぱり発酵が不十分で膨らみきらなかった分ちょっと小さめではあるものの、オーブンの中で正真正銘の食パンが爆誕していた。
それまでのコスパ云々のことや生地捏ね過ぎて疲れた腕のことなんてぜーんぶすっかり忘れて、ただただ感激。
そして我が子も、そのパンを目の前に目をキラキラさせながら「パン!すご〜い!!」と喜び拍手までしてくれた。
あれ、食パン、焼く価値あるんじゃん。
疲れたし失敗したかもだしもう当分はパンなんて焼かぬ!と思ってたのに。
というか、改善の余地ありで色々試したいこと直したいことがあれこれ出てきて、また直ぐにでも焼きたい。
これから暫くはパン焼きへの情熱が続きそうな予感
気づき
年始から、ずーっと内観というか内省というかしてて

なんか自分の思考の癖はどこから来るのかとかどうして家族や友人と今のような関わり方してるのかとか
なんとかかんとか
色々気になっちゃってずーっと考えてた。
それでひとつ気づいた、というか辿り着いたのが、自分には割としっかりとトラウマがあるということ。
俯瞰するとけっこう明白なんだけど。
気づかないもんだわ。
大きな事件事故に遭ったとかそういうのじゃないから。
じわじわとゆっくり時間をかけて形成されていった類のトラウマ。
気づいたときには、勿論ショックがあり絶望した。
でも、今まで色々なところに散らばっていた意味のわからない点と点が一気に線になって繋がって見えたから、別に誰を責めるでも恨むでもなく、穏やかな気持ちだった。
そう、全部が線で繋がった。
というか、そもそも全部繋がってる。
全部の経験があるから今がある。
しっくりきた。
トラウマがあるってラベルが付いて、安心した自分もいる。
人間関係で苦労することばかりで、それに説明がついたのはすごく救いだった。
この経験を、過去を恨んで立ち止まるか、乗り越えるか、それは誰かにしてもらうことじゃなくて、自分にしかできないことだ。
これからの自分がどう生きたらいいのか、どういう線を繋いでいくのか、それが見えた気がする。
年始に絶望を味わったお陰で、あとはどんどん上がっていくのかななんて思ってる。
それも結局、自分次第なんだけどね。
transformation

今年はそんな一年だった。
産後で身体も変化したし、自分に母親としての視点が加わったことで、考え方とか感じ方も大きく変わった。
自分の中で起こっていることとはいえ、その変化についていくのはけっこうハードだったな。
でも最近は、フレキシブルさを大事にして、執着を最小限に留めたら、だいぶ動きやすくなったし心も浮き沈みが減ったように思う。
そして既に、来年も大きな大きな変化が待っている。
これは、ずっとずっと準備して待ってたことだから、とても楽しみ🌱
凪
半年くらい前に、鎌倉のカフェでたまたま居合わせたお上品なマダムが、帰り際に我が子を見て
「ずっとご機嫌ね、満たされている証拠よ♡」
と一言残して去って行った。
そのときは、カフェの雰囲気が良かったし周りのお客さんも素敵な人ばかりで、我が子も落ち着いててその場では機嫌が良かったことは確かで、その一言をあまり深くは受け止めていなかった。
そしたら、昨日会った知人が我が子とひとしきり遊んでくれた後で
「すごく落ち着いてて情緒が安定してる。満たされてるんだね〜」
と。
彼女から、半年前に鎌倉のマダムから聞いたのと全く同じ言葉がそのまま出てきて少し驚いたけど、続けて彼女は
「あなたがちゃんと子供と向き合っているからだよ」
と付け加えてくれた。
それを聞いて、鎌倉でマダムが言ってたのって、その場の雰囲気だけのことじゃなかったんだ!と気づき(遅)
悩みながら躓きながら、毎晩反省会をしながら全く正解が分からず自信も持てずに必死に子供のお世話をしてきたことが、少しだけ認められたような気がして、嬉しかった。
小さな答え合わせができたというか、自分のやり方が間違ってないのかもしれないと思えた瞬間だった。
凪いだ海のように、穏やかな心を持った子に育ってほしいと願うよ。
