An ordinary life with extraordinary journeys ✈︎

“Oh Darling, Let’s Be Adventurers.” 旅、映画、写真とか

その「ダメ」は誰が決めているのか?

早起きしないといけないと思いながら寝坊したり、

痩せなきゃと思いながらアイスを頬張ってしまったり

 

自分の意思とは反する行動をしてしまったときに

 

あー、今の、ダメ。自分で決めたこともできないなんて、ダメな奴。

 

と、思ってしまうことがある。

そのときの「ダメ」って、大抵の場合「自分が」ダメだと思い込んでいるだけのことが多い。

それはもう驚く程に。

 

と、

わたしのヨガの先生が仰ってました。

言われてみて、振り返って、思い当たる節しかなかった。笑

 

だって寝坊したって遅刻しなければ人に怒られたり迷惑かけるわけじゃないし

アイスも同じ、食べたからって人様に迷惑はかかっていないのです。

 

この小さな「ダメ」の積み重ねが、自分自身を苦しめて負の螺旋を転がっていってしまうんだって。

 

 

もともと自分のありのままを許せている人にはピンとこないアイデアかもしれないけど、

きっとこういう人の方が多いのでは?と勝手に思っている。

 

最近は自分に課することが細々と多くなっていってしまっていて、

自分の設定したタスクが達成されずに終わる度に

やっぱり自分は決めたこともやりきれないダメな奴なのね‥‥と自信を失ってた。

 

寝坊してしまったら、それだけ睡眠を必要としていたってことだし

アイス食べちゃったら他の食事で調整すればいいだけだし。

 

よっぽど誰かに強制されてたことじゃなければ、もしそれができなかったとしても、

自分をダメとは思わず許してあげないとなと思う。

それとまずは目標設定を減らすこと。

 

この「ダメ」の螺旋、完璧主義な人は特に陥りやすいパターン。

意識的に自分へのタスクを減らす。

例え達成できなくてもそれを許せる余裕を持ってないといけない。

大人は結局のところ

昇進したり結婚したり子供を持ったり親を介護したり、

普通に社会生活を送っているだけで勝手にどんどん責任は増える。

そんなたくさんの責任を抱えながら、更にちょっとの失敗を許せずに過ごしていたら、

何処かで絶対におかしくなってしまうに決まっている。

 

そもそも自分に降りかかる責任が適正なものかを見極める必要もあるし、

もっと自分の自然な欲求に正直になる必要もある。

 

 

なので最近は、何も無い日は目覚ましをセットせずに寝たり、料理をしない日を作ったり、

意識的に「ダメな自分」を創り出さないことを心がけている。

というよりは、今までなら自分が「ダメ」と認識していた自分を許すことを意識的にやっている、というのかな?

 

そしたら本当に、今までダメだダメだって自分に対して思ってたのって、自分だけだったんだなって思えるようになって。

しかもその分、本当に必要な責任に対しては今までよりも一生懸命に取り組めるようになった。

 

小さなことだけど、すごく色んなことに良い作用を生み出していて、

考え方ひとつでこんなに変わるのか〜と感動すらしている。

 

その「ダメ」は、誰が決めているのか?

もしそれが自分だったら、一度くらい自分を許してあげて、

「ダメ」の呪縛から解放させてあげましょ。

そしたらとんとん拍子に、小さなストレスや苦しみから解放されるはず。

 

なんかなー。

最近、もっと日記的な感じでサラッと記事を書きたいのに、書き始めるといつも大体ずっしり重たくなっている。

軽やかに筆を進められるようになりたいものです🖌✨