An ordinary life with extraordinary journeys ✈︎

“Oh Darling, Let’s Be Adventurers.” 旅、映画、写真とか

同じ場所、違う記憶

昨日、母校のゼミの先生が退職されるので、最後の講義を聴きに行ってきた。

同期や先輩と一緒にキャンパスをお散歩していたとき、皆口を揃えて「懐かしい、ここは俺の青春が全て詰まっている‥‥!」と感激しながら校舎や中庭を眺めて感傷に浸っていた。

それを目にして、ふと自分の中には違う感覚があることに気がついた。

 

わたしは、大学時代が全然楽しくなくて、良い思い出なんて殆ど残っていないのだ。

 

第一志望でもないし遠いし、本当に気に入らなくてずっと編入試験の勉強をしていて、クラスの子とも心から打ち解けられずサークルにも入らず1人で授業取って独りでお弁当を食べて1人帰っていたから、嫌なことは色々と憶えていても、良いことの印象が薄すぎる。

図書館の充実した感じとか面白い先生の授業とか、ところどころで小さな愛しい記憶は思い出せるけど、全体として見たときには、懐かしさから胸が温かくなる感じは、全く無い。

 

それでも、結局編入試験には失敗してこの大学に通うしかなくなったときに、ゼミの存在がなんとかわたしをドロップアウトせずに卒業させてくれたのは、事実。

ゼミの先生は、在学中にはこのクソ野郎と何度も何度も思ったし、こんな内容後の人生何の役にも立たんとずっと考えてたけど、先生にはたくさん助けてもらったし、今の人生に繋がる土台も作ってくれていることを、最後の講義を聴いて実感した。

そしてゼミの途中で逃げるように留学して、帰国後も鼻にかかる嫌な奴だったであろうわたしと、ずっと仲良くしてくれてたくさん笑わせてくれたのはゼミの友人だった。

 

昨日嬉しそうに大学を懐かしむ同期の姿を横目に、こちとら全然楽しくなかったわ、とは思いつつも、彼らにありがとね、という気持ちが湧いてきた。

 

先生の退職というイベントをきっかけに、大学での負の記憶が、少しだけ書き換えられた。

 

荒療治だとは思うけど、こうして時々嫌な記憶も引っ張り出してきて、良いように書き換えてあげると、案外楽になれるのかも知れない。

 

その為に人間は忘れることができるし、信じることができる。

 

講義のあとで、同期でよく通った思い出のカレー屋さんでランチして帰宅。

このカレー屋さんでも、皆が味が変わってない!懐かしい!を連発していて、全く理解できなかったけど。笑

これからもし同じカレーを食べるときには、大学時代を少し優しい気持ちで思い出せるかなと思うよ。