An ordinary life with extraordinary journeys ✈︎

“Oh Darling, Let’s Be Adventurers.” 旅、映画、写真とか

人から見られる職業

ヨガの先生になるために半年以上前から勉強中なんですが

 

最近よく考えるのが、

ヨガの先生って人から見られる職業の中でも飛び抜けて色々なことに気を遣わないといけない存在だなということ。

 

モデルとか芸能人とか、最近だとインフルエンサー?とか

ああいう人たちって、可愛くてキラキラした生活してて眩しいし憧れるけど

みんな結局画面越しの存在であって、見る側のわたしたちだって、そのアップされる写真や映像は加工済みで、きっと上澄みだけ見せられているんだろう、というのを何処かで感じていると思う。

見られる側と見る側に、分厚いフィルターがあることが暗黙の了解、みたいな。

 

で、これがなんですが

ヨガの先生には当てはまらない気がしていてですね。

 

オンラインクラスとかYouTuber先生は置いといて

 

ヨガの先生って基本的に生徒の目の前でクラスするから、肌も筋肉も体型も、何を着ているかも、全部見られる。

隠れる所が全く無い!って印象しかない。

 

しかも、人が思い描くヨガのイメージって

・続けてたら体が柔らかくなる

・やせる

・筋肉がつく

・食事や睡眠に気を遣うようになる=丁寧な暮らし

・心が安定してくる

 

こんな感じで、少なからずこういう効果を求めたりそれに近づきたいと憧れてるのかなと思っていて。

まぁひとつ言っておくとヨガやっても痩せはしないんですがね!

 

で、これはつまりヨガの先生っていうのは

・柔軟性があって

・バランス良く筋肉がついた体をしていて

・もちろん痩せていて

・丁寧な暮らしによって健康だから肌荒れや便秘知らずで

・怒ったり不機嫌になったりせず穏やか

 

みたいな存在でいることが求められているんじゃないかと想像してしまう。

こんなこと考えて、先生になる前から一人でハラハラしている笑

 

 

ヨガの美しさって「引き算の美」だと思っていて、それは間違いないと思う。

必要以上に筋トレしたりばっちりメイクをするのではなく、日々練習と向き合う中で、自然と無駄が削ぎ落とされている感じというか。

やっぱりヨガをちゃんとやってる人には、無駄な筋肉はつけないし、化粧も殆どしないし(肌が綺麗な前提で)、食べ過ぎたり物を持ち過ぎることもなく暮らしている、みたいなことが共通していると思う。

 

ヨガに対してこの引き算の美しさのイメージを持つ人がどのくらいいるかわからないけど、少なくともわたしはそう考えているし、わたしが習っている先生はみんなそういう美しさを兼ね備えている人達だ。

 

だから自分が先生になろうと思ったら、これを体現するのか、と考えるとヨガの先生ってやべーーハードルたけぇ。ってなる。

 

ヨガを淡々とやっていれば、こういう他人がどう考えるかなんて全く気にならないようになるはずなんですけどね。。。

やってくうちに気にならなくなるものなのかもしれないし、色々揉まれて結果的に無駄が削ぎ落とされるかもしれないし。

きっとその両方だろうな。

 

いずれにしても、先生になるならないに関わらず

今の自分には無駄が多いし中途半端なことが多いから、

誰に見られても恥ずかしくない先生になるぞ!というのをモチベーションに、頑張ってみようかと思います。

わたしが自分の先生に憧れるように、いつかは誰か一人でもわたしという存在に憧れる人が現れるかもしれないその日のために。笑

 

これで今まで何処か適当にやってたダイエットとか体調管理とか、哲学の勉強とか、やらなきゃいけない状況になったな。

うまく追い込めたかも‥‥!笑