久しぶりに、哲学クラスのシェア。
人は大人になっても精神的にも肉体的にも、成長し続ける。
でも、それは時に止まってしまう。人の成長が止まるのは、次の3つのとき。
1.忙しすぎるとき
成長のためには、自分に足りないものや弱点を理解し、それを埋めるため、克服するために自分自身と向き合い、勉強したり調べごとしたり、つまりはそのために時間を取らないといけない。
それが、仕事でも遊びでもなんでも、忙しくし過ぎてしまうと、時間を取ることができなくなってしまう。
忙しくするのは悪いことではないけど、忙しすぎるのが良くない。自分を整え、成長のために使う時間は、誰にでも必ず必要なものなのだ。
例えば、ある場所に急いで行きたくて、目の前にある車を適当に選びろくに点検もせず猛スピードで向かう。
でも、車の点検を怠ったせいで、途中でガソリンが切れるかもしれないし、ブレーキが効かないかもしれないし、結果として目的地までいつも以上に時間がかかったり下手したら辿り着かないかもしれない。
自分自身のことも、同じ。
忙しく、仕事に遊びにってできるからといって、たまに立ち止まって点検をして整えてあげないと、そのまま順調に成長し続けることはできない。
だから、忙しすぎるのは良くない。
2.快適さを求めすぎるとき
快適な状態は、誰にでも必要だ。たまには休まないといけない。
でも、快適な状態とは、あくまでもまた次に動き始めることができるように、回復するために必要な状態だ。だから、その快適さに執着が生まれてしまうと問題になる。
目的もなく、ただただ快適さに身を任せ続けると、人は怠ける。そうするとそこから抜け出すのは簡単ではない。これでは成長どころか退化の一途を辿ってしまう。
目的があると、快適な状態から抜け出すことができる。
例えば、早朝フライトがある日の朝は、早くに目覚ましをセットしていても、目覚ましより早く起きられるかもしれない。そういう目的を持って、快適さの中にしっかり身を浸して回復させることが大切だ。
物理的に身体を動かしてしまうのも良い。昼寝しようか迷っているときに散歩に出てしまうとか。
わたしの先生は、「明日」はないと言っていた。
日本でも「明日やろーはバカヤロー」なんて言ったりしますが、「明日やる」は物事を一生先延ばしにするための言い訳でしかない。○曜日まで、○時まで、と具体的なリミットを設定することが重要だ。
3.傲慢になりすぎるとき
誇りを持つことは、モチベーションを保つのに良い。
成功したとき、勝ったとき、期待通りに物事が運んだときなどは、自分の中に誇りの感情が生まれ、それがモチベーションになる。
しかし、行き過ぎてしまうと傲慢さが出てきて、生きていく上で色々なことの妨げになる。
自ら成長するチャンスを遠ざけるようなものだ。
ある程度のプライドを持ちつつ、謙虚さを忘れないことが大事である。
20代くらいまでは、仕事に遊びに忙しくして、休みの日は大いにだらけ、たまにエゴが強くなったって然程問題はないかもしれない。30代以降はどこかで一度は自分を振り返り、自身の成長のために時間を使うことの大切さを改めて認識しないと、のちのちの人生で苦労してしまうような気がする。
わたしの場合、自分自身の敵は怠惰なところだ。明白。
放っておけばいくらでも楽な方楽な方へと流れていってしまうから、これを自覚して節制しないと成長どころではなくなってしまう。
目標とかやりたいことはあるんだけど、目の前に楽な選択肢が現れたら迷わずそちらに飛びつく。誘惑にとことん弱い。。。
口に運ぶ食べ物、目に入ってくる情報、人付き合いも、自分にとってポジティブなものをもたらしてくれるものをなるべく選択していくことで、楽な、ネガティブな結果を招くような選択肢も遠ざけられるんだろうな。
わかっちゃいるけど。うーーーん